日高山脈北部に端を発する沙流川(さるがわ)は延長104kmの一級河川です。 沙流川流域には多くのアイヌのコタン(集落)が栄えました。中流域に位置する現在の平取町二風谷(にぶたに)にもコタンが存在し、1808(文化5)年の『佐留場所大概書』には集落の名称として「ニヒタニ」と記され、1858(安政8)年に二風谷を訪れた、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の『左留日誌』にも「ニプタニ」といったコタン名が記録されています。 さらに時間をさかのぼると、先史時代(約1万数千年前の旧石器時代)の石器が、沙流川支流の看看(かんかん)川の下流域にあるイルエカシ遺跡から出土しています。沙流川流域では太古から人々の営みが積み重ねられてきたのです。
明治以降、沙流川流域は多くの研究者が行き交うアイヌ文化研究の拠点となりました。J.バチェラーや金田一京助、吉田巌をはじめ、昭和初期にはN.G.マンローが二風谷へ移住し、数多くの研究成果を世に残しました。また、明治初期には世界中を歩いた稀代の旅行家、英国人女性のイザベラ・バードが日本の旅の目的地として平取を訪れています。 沙流川流域には世界的に見ても貴重なアイヌ文化研究の蓄積があります。その中でいま、アイヌ文化発信の中心地となっているのが二風谷です。
平取町ではアイヌ文化を伝承する様々な取り組みが行われています。例えば、二風谷コタンに復元されているチセ(家)群はアイヌ文化伝承の象徴的な存在です。コタンでチセを建てる前後には厳粛な儀礼が行われます。他にもチㇷ゚サンケと呼ばれる舟下ろしの儀式、祈り言葉、作法、儀式に伴う用具・料理づくりなどの定期的に行われる継承活動や地元の子どもたちを対象にしたアイヌ語教室が開催されています。また、二風谷コタンから伸びる「匠の道」にはアイヌ工芸作家の方々の工房が並んでいます。路線バスではアイヌ語で停留所が案内されるなど、地域が一体となって有形・無形のアイヌ文化を守り伝えています。 2001年には「アイヌ語地名」と「アイヌ文様」が、2004年には「アイヌ口承文芸」が北海道遺産に選定され、2013年には、代々受け継がれてきた伝統的技法で作られる「二風谷イタ」と「二風谷アットゥㇱ」が、経済産業省による「伝統的工芸品」に北海道で唯一、指定されています。
イタとはカツラやクルミなどの木で作られた丸型や角型の平たいお盆です。その表面にはアイヌ文様が美しく彫り込まれています。 アットゥㇱとはオヒョウやシナノキなどの樹皮を加工して作られる平織りの反物です。丈夫で水にも強いアットゥㇱは衣服を作るために欠かせない素材として、その技法が長く伝えられています。山で樹皮をはぎ、マキリ(小刀)を使って粗皮をはがし、川で1週間も水にさらしてから洗い、さらに内皮を剥いで糸をつくり、それを一つひとつ結んで長い糸玉にする――織る前にもこれだけの時間と作業をかけて作られているのです。
チセ群では作家たちが輪番でイタの木彫りや刺繍などの実演を行っており、その制作工程を見学し、作り手から話を聞くこともできます。チセ群の近くには二風谷アイヌ文化博物館や二風谷工芸館が立地し、アイヌ文化を学び、本物のイタやアットゥㇱにふれることができます。 ここにしかない時間、この土地に受け継がれてきた工芸品。平取町で、本物に出会ってください。